湖月館は1940年(昭和15年)創業。
現在は4代目として私たち夫婦が切り盛りしています。
初代が俳句を嗜んでいたこともあり、湖月館は当時から多くの文人が訪れていました。
また、湖月館の由来もここにあり、初代の畑中寛政の俳号が「湖月」であることから「湖月館」と名付けられました。
かの福永武彦も湖月館を訪れ、その際の出来事を基に「貝合わせ」を執筆。「貝合わせ」は高校現代文の教科書にも掲載されていました。
おかげ様で現在も多くの文人、そしてそのファンの方々に愛されています。
能登半島、富来、増穂浦にある旅館。福永武彦の貝合わせの宿
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湖月館は1940年(昭和15年)創業。
現在は4代目として私たち夫婦が切り盛りしています。
初代が俳句を嗜んでいたこともあり、湖月館は当時から多くの文人が訪れていました。
また、湖月館の由来もここにあり、初代の畑中寛政の俳号が「湖月」であることから「湖月館」と名付けられました。
かの福永武彦も湖月館を訪れ、その際の出来事を基に「貝合わせ」を執筆。「貝合わせ」は高校現代文の教科書にも掲載されていました。
おかげ様で現在も多くの文人、そしてそのファンの方々に愛されています。
私は宿屋の若いお嫁さんから、お好きなのをあげましょうと言われて、とくににしき貝を貰った。 自分が拾ったのもそれが多かった。
・・・貝合わせをする相手もいないから、時々原稿用紙の升目の中に並べて、一人で色の配合を愉しんでいる。
海の響きをなつかしむと言うが、どの貝殻もあの暗鬱な日本海の景色に似つかわしくないほど華やかで明るい。・・・・・
今でも私は、その時の貝殻を並べてみては、湖月館というあの小さな宿屋とむすめむすめした若いお嫁さんのことを、思い出すのである。
この「むすめむすめした若いお嫁さん」は先代で、現在の大女将のこと。
また、福永武彦先生が大女将に送った歌を歌碑にして2003年に建立。
この歌碑も能登半島地震で倒れてしまいましたが、移転・再建後の現在も玄関前に移築しておりますので是非ご覧ください。
夜もすがら春の
しるべの風ふけど
増穂の小貝くだけ
ずにあれ
2020年には客室の改装・リニューアルも行い、順風満帆に営業しておりましたが2024年1月1日の能登半島地震で被災。
天井は落ち、壁は剥がれ、食器・調度品・設備などありとあらゆるものが壊れ、散乱した状態でした。
行政からの診断結果は「全壊」。営業再開どころか、建物に近づくことすら危険な状態となっていました。
資金繰りなどを考えると再建も難しく、一時は廃業も考えました。
ですが県のなりわい再建支援補助金の話があり、何かしらの形で事業を再開することを検討していました。
富来を離れ、金沢で飲食業なども視野に入れていましたがこれまで当館をご利用いただいた全国の方々からの励ましの声・再開を望む声に後押しされ、これまでと同じ富来で「湖月館」を再建することを決意しました。
元あった場所は周辺の山が崩れ、今後も不安が残るため別の場所を探していたところ、元あった場所から数百メートル離れたところの土地を紹介してもらい、再建に着手。
皆様の支援もあり、2026年5月7日、地震から857日ぶりに営業を再開しました。